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旅の履歴書 10 香港滞在

湾岸戦争で しぶしぶ日本へ帰った私でしたが、不本意な形で旅を終える形になったため、毎日、旅に出ることばかり考えていました。



そして、その年の12月初め待ちに待った香港へと向かいました



今までの旅は 中東やヨーロッパばかりだったので私にとって初めてのアジア。

よく韓国旅行した人が ハングル酔いをすると言いますが、私はまさにそういう経験をしました。

街を歩く人も、建物も日本ととても似ているのに何か違う・・・。

街を行く人の話し言葉と、看板の字のせいで なんだか落ち着かないヘンな気分がいつも付きまとっている感じ。

やっと 香港の街に溶け込めたのは2週間ぐらいたった頃でした。



いつも現地の人にお世話かけっぱなしで旅をしてきた私ですが、ここでもやっぱりお世話になっちゃいました。

イスラエルをフェリーで出国時に知り合った香港人の男の子が2人いたのですが そのうちのひとりと手紙をやり取りして、彼のガールフレンドの家族が以前住んでいたという高層アパートに滞在させてもらったのです。

黄大仙の隣駅であるダイヤモンドヒルにあるそのアパートは交通の便もよく快適~

こぎれいな高層アパート群のなかにはコンビニはもちろん、レストラン幼稚園まであるそうです。

日本と違う、と唯一感じたのは重いドア内側にもう一枚鉄格子のドアがあって、窓も鉄格子がはいっていたことでした。

やはり 治安が悪いってことなんでしょうね~。



香港では 毎日1日が3食だけっていうのが物足りなくって食べることがとっても楽しかったな~

中華料理だけでも種類多いのに世界中の腕のいいシェフが香港に集まっていると言われていました。

もちろん私は 庶民派、B級グルメ専門ですが・・・。



そんな私が、香港で大好きだった食べ物といえば、







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旅の履歴書 9 湾岸戦争

湾岸危機を知ったのは、私がゴラン高原にあるキブツを1ヶ月で出て、アフラ近郊のこじんまりしたキブツで孤独に過ごしていたときでした。前のキブツとは逆にボランティアがほとんどいなくって数人いたボランティアは、ネイティブでみんなが集まって会話が始まるといつも話しから取り残される私でした。



そんな日々でも、キブツニークのタミーというイスラエル人の女性と仲良くなって家を訪ねたり、ボランティアリーダー(ボランティアの世話をしてくれるキブツの人)のオフラおばさんと一緒に仕事をしたり家に行ったりしていました。

そのオフラから「今、この中東は危ないのよ、知ってる?」

と、言われた時は、でした。

全く知らなかったのです。

でも、イスラエル人はこの類のクライシスには慣れているのか、一通り説明してくれて最後に一言「ま、心配ないわ。」



しか~し、テルアビブ近郊で働いていた友達(一緒にエジプト~ヨーロッパを旅した)に会うと

「なにのんきなこと言ってるの~!!」と、日本の新聞やら英語の雑誌を見せてくれ、とどめは

「私なんて雇い主からこんなの支給されたんだから!」と、見せてくれたのはガスマスクでした

ひえ~

これってやっぱり、危ないんだろ~か



でも、まだイスラエルを去る気にはなれない・・・。

じゃ、とりあえず、って感じでエジプトへ。

戻ってきて3週間後も、事態は好転せず・・・。

で、しばらく滞在後、ビザもおりなかったので、ヨーロッパへ出たのは以前書いた通り。



年明けを迎えた、トルコの田舎の村で



旅の履歴書 8 カッパドキア 

イスタンブールから、ブルサ、アンカラを旅して廻った後、私達(キブツからの友達)はカッパドキアへ。

シーズンオフで観光客も少ないこの奇岩で有名な田舎の村で、結局私は2ヶ月過ごしたのでした。



安宿に泊まって、最初のうちはカッパドキア各地を 少しずつ見て廻りました。



トルコの内陸にあるカッパドキアは とても寒くてGジャンにセーターだけの私は耐え切れずに上着を買うことに決めました。

なにしろ、も少なくなってきています。

ここは いっちょうできるだけいい買い物をせねば



村のレザーショップでチャイを片手に、じっくり値切って黒の皮ジャン、ついに購入

手入れ用にクリームと袖詰めのサービス、そしてお昼ご飯をおごってもらう約束で、当日おなかをすかせて店に行った私達を待っていたのは、約束したおじさんではなくて もうひとりの英語は全くダメだというおとなし~いおじさんのみ。

そのおじさんはジャケットを渡したらおわりだと思っていたようで 約束のクリームもおごりの話も「知らない。」と、言うのでしばらくそこでおじさんを待つ。

が、全く帰ってこない。私達がいつまでも居座るのでおじさん2(と、かってに命名)は、明らかに迷惑そう。私達の目を避けるように店の外へ出て行ったり、どこかに電話したり。

結局、おじさん2がたぶん自分のポケットマネーで近くのレストランに連れて行っておごってくれました。

そして、皮ジャンのクリームについても「サービスでレザー用のクリームをつけてくれるって、言ったから買ったのに~」とゴネる私達に、

最初は「ニベアクリームを使えばいいんだ。」

などと、言ってましたが最後には、これまた自分のポケットからクリーム代を渡してくれました。

ありがとう、おじさん2

旅の履歴書 7 トルコ

ヨーロッパを南下して、再びやってきました、大好きなイスタンブール

電車の窓から なつかしいモスクのミナレットが見えます。

(よっしゃ!がんばるぞ)と、気合を入れなおし、重いバックパックをかついで安宿の多いスルタンアフメット地区へ。



大通りから近い安宿に荷物をおろし、さっそく外へ。

初めての街と違って、方向オンチの私でも地図を見なくても歩ける(見ても歩けないことは、昨日の日記でバレてますね^^;)イスタンブールは、楽しい



ひとり旅でも旅行者をほっといてくれないのが、トルコ。

日本びいきのトルコ人が、次から次へと話しかけてきます。

カタコトのトルコ語で返すと、も~う満面の笑顔で「すばらしい!!」「おい!!このジャポンはトルコ語わかるぞ。」と、周りに私を指さして

「ちょっとだけです。」などと、トルコ語で返すとますますうれしそうな周りにおだてられ・・・。

初めてトルコに行ったときは、人寄せパンダのようにトルコ語を言わされ、アチコチ引き回されたので機嫌の悪い時は しそうによくなってました。

今回も、ひとり旅なのに一人っきりになれない状態。

だから、疲れた時は遠目になって見えていないフリをして無視を決め込み。

が、ナンパ野郎を無視したら、

「なんだよ、ブスのくせに!!」の捨てゼリフが

むっか~なんなの、一体!!

旅の履歴書 6 ヨーロッパ上陸

エジプトを、3週間旅した後、いったんイスラエルに戻った私は、フェリーで、キプロス、ギリシャを経由してイタリアに入りました。本当は、もっとイスラエルにいたかったのだけど、キブツでの滞在ができないということで断念。(もうすでに半年いたので「じゅうぶん楽しんだでしょ。」と言われました・・・



確かに 楽しませていただきました

毎日がパーティ状態で、朝早いのを除けば仕事はラクだし、自分の希望もきいてもらえたので、私は何箇所も経験できたし、食事はおいしいので太るのが心配だったほど。

何よりも いろんな国の同世代の仲間と過ごしたことは 貴重な財産ですもん。

我が家のこぶたたちにも 大きくなったら 絶対体験させたいと、思ってます。

ダンナは 実情を知っているだけに反対するかもしれないけど。(結婚後、2人でゴラン高原の近くのキブツに1ヶ月滞在したことがあるので。)キブツの住人からは、ボランティアは 不真面目で麻薬や男女問題を起こすやっかいな存在、と思われがちだったのも事実。

ほとんどの日本人は まじめでしたよ~。アルコールや、奔放すぎる異性とのお付き合い、というのは、欧米のボランティアに、確かにいましたけど・・・。

でも そんないろいろなことを見聞きして あの国で過ごせたことは 今の自分にとってすごいプラスだし、パレスチナ問題に興味を持つきっかけにもなりました。



イタリアに入った時は 秋で暑かった中東をTシャツでブラブラしていた私は自分のみずぼらしさに恥ずかしくて、だって周りはセンスのいいイタリア人ですよ!!「おめぐみを~」と、手を差し出してくるオヤジさえ私よりいい身なりしてるんだよ!!恐るべし、イタリア人。

私はといえば、身も心もさむ~~い

セーターを着込んで、寝袋にくるまって寝る日々。

イスラエルもキブツから一歩出ると、物価高でしたが、イタリアは全てにお金がかかるんだもん。(当たり前ですね)



プロフィール

旅こぶた

Author:旅こぶた
もとバックパッカー主婦。好きなのはインド、トルコ、イスラエル、タイ、バリ島などなど・・・。今はもっぱら家族旅行ですが、赤ちゃんのころから旅に連れ歩いていた子供たちもやっぱり旅好き。夢は家族でインド長期旅行!
旅日記のほか、趣味で作ったハンドメイド作品の記録も。

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