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バラナシ ベンガリートラ散歩

youtube見てたら おもしろい動画を発見びっくり
インド バラナシのベンガル横丁をビデオをまわしながら歩いたものなんだけど、むっちゃくちゃなつかし~~いnico

バラナシは、死んだら死体をガンガーに流してもらおうとインド中のヒンドゥー教徒が集まってくる聖地

ガンガー沿いにはホスピスもあったり、(地元の人はホスピスと言っていたけど私たちが普通に考える施設とは別でただの安宿みたいなところに今にも死にそうな人が家族といっしょに宿泊していた)ガートではたくさんの人が沐浴していたり、いちばん死に直結した街

そんなバラナシに私が滞在したのはもう12,3年前のこと

ワクワクしつつ見てみたら、一瞬であの頃にワープ

それもベンガリートラから私が宿泊していたヴィシュヌレストハウスまでのルートじゃん

にしても、あれからすでに12年以上経ってるのに、光景がほとんど変わってない(笑)

いや、たぶん店とか建物は多少変わってるかもしれないけど、基本的に整備もされていないようだし大きな建物ができたわけでもなく・・・うん、やっぱり変わってない

興味のある方は、ぜひバラナシ ベンガリートラ(トラは横丁って意味で虎とは無関係です、念のため)散歩をお楽しみくださいませ

この手の動画に多い、酔いそうなブレ画像ではなく、映像もキレイで音楽もバッチリ


狭い道に牛がいますが、インドでは当たり前の光景で、私はむしろ(あれ、牛少なくない?)と思ったほどアップロードファイル




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テーマ:旅の思い出 - ジャンル:旅行

インド~私の「物乞う仏陀」体験

石井光太氏の物乞う仏陀を読んで自分の物乞う人々との体験を思い出し書いてみることにしました

                   エスニックラインピンク


私が初めて旅行したのはもう20年以上前のトルコでしたが、当時のトルコでもやはり物乞う人々はかなり目にしました

現地の友人が、ごく自然に差し出された手にポケットの小銭を渡していたのを覚えています

その後も、ひとりでバックパック背負ってアジアやヨーロッパ、中東などを旅していた私は貧乏旅行だい!とイキがっていて彼らには目を向けようとはしませんでした

一人に与えるとキリがないから誰にも与えない

そう決め込んでました

でも、本当はどう接したらいいのかわからなかったというのが正直な気持ちでした

特にインドでは物乞いも、路上生活者もそれまで行ったどの国よりもたくさんいました

特に、印象的だったのがコルカタ(当時はカルカッタ

来る前に読んだ本にはこう書いてありました

「世界最悪の居住環境」という不名誉な評価を受けているカルカッタには100万人を超える人口を持つ巨大なスラム街があり、40~50万人の路上生活者がいるといわれている」


私が宿泊していたのは、安宿街として有名なサダル・ストリート

旅行者相手の安いレストランやカフェ、ホテルがたくさん集まった通りなんだけど、その道の両側にはずら~~~っと、路上生活者が暮らしていて、そこを通る観光客に声をかけながら、道のすみっこで食べたり、寝たり、公共の水道の前で体や食器を洗ったりして暮らしていました

私も道に座り込んだ女性から声をかけられました

最初のうちは「Hello!」と声をかけられてもねだられるのだろうと思い無視していました

でも次の日、声をかけてきた彼女に「Hello!」と返すと満足げにうなずいただけで、洗っていた皿に視線を戻したのでした

すごく恥ずかしかったです、彼女を乞食としか認識していなかった自分が・・・

彼女はただ通りかかった外国人にあいさつしただけだったのに・・・

それからは滞在中に毎朝そこを通るたびに彼女とはあいさつしあう仲になりました


                     エスニックラインピンク


彼女とともに印象的だった人がいます

バスターミナルでの出来事なんだけど、発車前のバスに女性の物乞いが乗り込んできて歌い始めました

でもあまり上手な歌い手とはいえずお金を渡している人もいない様子

別な日にそこへ行った時、また彼女を見かけました

彼女は赤ちゃんを抱いており、地面に座り込んで熱心に赤ちゃんの髪の毛をとかしつけているところでした

何度の何度もていねいになでつけると、赤ちゃんを抱き上げていとおしそうにながめていました

ただそれだけの光景なんだけど、まるでそこだけが別世界のようでした

赤ちゃんを抱いた彼女の姿がとても美しく感じました



                    エスニックラインピンク

でも、物乞いのなかには思わず目をそむけたくなるような人たちもたくさんいました

アグラの駅で会った10歳くらいの少年は、象皮病らしく片足だけが遠くから見てもすぐわかるくらいパンパンに腫れていました

足の指一本一本がまるで風船のようにふくらんで、歩くたびにプルンプルンゆれていました

動くこともできないほどの衝撃

彼はベンチに座った私の前に来ると手を差し出しました

彼の顔を見ないように「No」と言うのが精一杯でした

(どうして、医者で診てもらわないの?どうしてニコニコ笑っていられるの?自分はどうしたらよかったんだろうか?)

頭の中はもうパニック状態でした

彼はというと、となりのホームにやってきた外国人観光客を見つけると、私のもとからサッと離れ、すばやく線路に下りてとなりのホームに移っていきました

少年にバナナをあげる外国人観光客をぼんやりながめながら、私はずっと混乱していました



もう10年以上がすぎましたが、いまだに物乞いに対してはどうしたらいいのかわからないまま

ただ、自分が母親となって、やはり小さな子供が物売りをしていたり、ボロのような服を着て手を差し出されたりすると、とても心が痛みます

お金を渡そうかといつも思うのですが、お金を渡すその行為自体が傲慢なのではないかと考えたりすると結局なにもできずにやり過ごしてしまっています




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テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

タグ:物乞い インド カルカッタ コルカタ サダルストリート

憧れのインドへ 5 カルカッタ(コルカタ) 1996

6週間の予定のインドの旅も、後は、カルカッタとアグラを残すのみ。

私達は、カトマンズからゴラクプールを経由してカルカッタを目指した



が、カルカッタへの道のりは 遠かった



今までなんとかなったので、軽い気持ちで予約がとれないまま電車に乗り込んで、結局乗車率300%(イメージ)の2nd classにインド人達と一緒に丸一日以上押し込められてしまった

寝る場所は当然ないので、座席の下に(それすら無理やり入り込んで)持っていた新聞紙を敷いてゴロンと横になって眠るハメに・・・

夜中に、制服姿の警官に起こされ、ダンナは連行されてしまい・・・

停電なのか真っ暗な中、銃を持った警官に50Rs払わせられて(予約なしで電車に乗ったことでゆすられたみたい。人目のないところに連れて行って、結局、レシートはくれなかったし、最初は「20Rs」と言ってから50につりあげたらしいから。)

いつもなら、絶対払わないダンナも真っ暗な中、相手も銃を持っていておどされたので従ったようです



ま、そんな目にあいながらも到着した地上最悪の街といわれているカルカッタ。



私達は、有名な安宿街サダルストリートへ。

とにかく疲れていたので、界隈では、TVもエアコンも付いて居心地のいいホテルに落ち着き、ホコリと汗にまみれた体をシャワーでさっぱりさせた



ガイドブックには、「カルカッタからインド入りするのはインドが初めての人はヤメたほうがいい。」とよく書いてある。カルカッタから動けなくなってしまうかららしい。

それほどまでに強烈なカルカッタの街って・・・。

確かに、この街の路上生活者の数は4,50万人とも言われサダルストリートの両脇にも物乞いや道端で寝たり食べたり(というより、家らしきものにちゃんと住んでる)している人が多いこと。

私も、最初は声をかけてくる路上生活者のオバちゃんに(あ~、イヤだな・・。なんかくれ、って言われるんだろうな。)と思いつつ しかたなしに「Hello」と返事した。

そしたらオバちゃんは ニコッて笑うとうなずいてまた洗いかけの皿に目を戻したのでした。えぇ~オバちゃんごめん

それから毎日、このオバちゃんの前を通るたび「Hello!]とあいさつする間柄に。



私にとっては地上最悪の街ではなく、けっこう居心地がよかったカルカッタの街。

灼熱のデリーやゴラクプール、嵐に遭遇してあわやガンガーに浮かぶ死体になりかかったほこりっぼかったバラナシに比べて天国のようなカルカッタ。

私たちが行ったときはちょうど雨季の真っ只中

しっとりした空気(たんに、ジメジメともいう)に緑が映え、雨の毎日も逆に私の体調にプラスに作用してた。

ただ、雨が続いたせいで数日後には通りは洪水状態に。

裏通りのサダルだけではなしに大通りのチョーロンギーまで洪水。

道行く人は、ふだん絶対足を見せない女性までがサリーのすそをまくって歩いていく。

いつも「きったなーい!」と落ちている汚物や、ねずみの死骸をふまないように足元を気にしながら歩いている道なので当然、衛生状態は…。

サダルにある店先はほとんどが階段状になっていて、水嵩が増えると板をたてかけて侵入を防いでいる。

雨季はいつもこんな状態らしくみんな動じません。

むしろ、大通りは通行禁止のリキシャがサダルを行き交い大繁盛。



そんなカルカッタでお気に入りだったのがサダルの外国人旅行者ご用達の「ブルースカイカフェ」いつも相席が当たり前の人気カフェ。ラッシー一杯頼んで一時間待ったこともあるインドの食べ物屋にはめずらしく、ウエイターのお兄さんがあちこちからかかるオーダーの嵐を次々とさばいていく様は見事

いつも 朝食はここ。

そして、インドで一番おいしかったのが在住中国人がやっている中華屋「HowHua」

ここの鍋は サイコーだった

これだけのためにカルカッタに来てもいい!と思ったほど。



私がとてもリラックスできた街がカルカッタでした。

憧れのインドへ 4  カトマンズ 1996

バラナシから、パトナ経由でネパールに入国。



カトマンズでの宿は、旅行者でにぎわっているタメル地区。

ここには、旅行者向けの土産物屋、各国料理のレストラン、パン&ケーキ屋、各国語の古本屋etc、なんでも揃っている、まさに沈没(旅行者が、気に入った場所で長居することをこう言うそうです。)に適したところ

日本語の本もいろいろ揃っているし、特筆すべきは、レストランやパン、ケーキのレベルの高さ

かつてヒッピー全盛時代、カトマンズに来た西洋人達が伝授したというパン(ジャーマンベーカリーを名乗るパン屋が多い。味は、私にとってはかなりふだん食べていたパンに近かったと思います)!

インドでは、フカフカのパンケーキにありつけたのは唯一ダラムサラのチベット人の店だったし、おいしいブラウニーなんて食べられっこない!と、あきらめてたもん←帰国前に コンノートプレイスにおいしいパンとお菓子の店を見つけたけど時すでに遅し



インドでは、入国早々、インド人の怖さを経験し、食事もカレー味のものか、たまに日本食を食べても想像を絶するマズさだし、1年で最も暑い時期の旅だったこともあって、心も体も休養を求めていた私たちにとっては、まさにパラダイス



朝、ゆっくり起きてお気に入りのジャーマンベーカリーに行って、ポットのミルクティーとシナモンロールやサンドイッチなどを食べるのが、日課でした。



それから、ブラブラ歩いてお土産屋ひやかしたり、古本屋に行ったり。(私は、「極道の女たち」を150RSで買っちゃいました。後で、返却した時に半額戻ってきました!)



夕食は、たいてい安くておいしい「味のシルクロード」という店へ。

ここでは、定食もあるけど、ごはんに味噌汁、漬物、コロッケと納豆を注文。もちろん、ごはんはおかわりする!と、いうのが私の幸せチョイス

納豆は、有機栽培の大豆をつかっているそうな。もちろん、味はちゃんとした納豆なんですよ~当時、ドイツに住んでいた私にとっては旅先でこんなに安く日本食、それも(冷凍ではない)納豆が食べられるとはホント、感激でした

この「味シル」に通いつめていた理由は、味と値段以外に、日本の新聞やj旅の情報ノートを読めるということが大きかったんです。海外に住んでいる私たちにとって、特に、活字中毒の私にとって日本語の読める環境はとってもハッピー

毎回夕食に行って、2時間は居座ってました。

カトマンズのほかの日本食レストランも行ったけど、「味シル」が私の中ではナンバー1



こんな、ダラダラした日々を10日程過ごした私達

旅行者にとってはいたれりつくせりのカトマンズに長く沈没していたい気持ちを振り切って私達は、再び、手強いインド人達の待つ国へ戻るのでした~



憧れのインドへ 3 バラナシ 1996

風邪が治らないまま、デリーにいったん戻った私たちは、いよいよ、聖地バラナシへ。

電車が7時間おくれでやっと到着した時は、病み上がりの私は疲れきっていました



到着そうそう、ガンガーに死体がプカプカ浮いているのを目撃

(さすが、インド人が死ぬためにやって来るというバラナシだ~)と、思ったけど 結局 死体が浮いているのを見たのはこの時だけだったので、たまたまだったようです。



宿は、ガンガー沿いの安宿で、眺めのいいテラスでは、各国の旅行者が本を読んだり、おしゃべりしたり、朝食もとれて 憩える場所。(その朝食が、ラッシーを注文しても1時間かかったり、小麦粉だけを水で溶いたようなパンケーキを食べるハメになったりするんだけど



バラナシに来た旅行者が行くところといえば、火葬場。

ガンガー沿いに何箇所かあって、私たちが最初に行ったのは、しつこいガイド(勝手に私たちについて来て、「お金はいらない」とうるさいので、ついて行った)が案内してくれたホスピス(どう見てもふつうのアパート)。

病人とその付き添いの人が何組かいるところに案内されて

「寄付をしろ。」←やっぱりね・・

私たちが出したお金が彼の懐に入るのは確実なので、彼の制止を振り切って外へ。



翌日、同じ宿の日本人が行ったという火葬場へ。

周りには、家族らしき人たち以外に 単なる暇つぶしに見てます的インド人たち。

真上から様子がよく見える。

私たちが行った時には、3体火葬中だった。

ほぼ終わりかけていて、死体だとはわからないくらい焼けていたけど。

牛が迷い込んできては去っていく中で、川沿いでは、野犬が流れてきたものを喰らっていて 不気味・・。

どこからか、茶色の子牛がやってきてず~っと火の燃えるのを眺めていてお供えの花をムシャムシャ食べたりしていて、とってもかわいい。



隣に座った自称「カソーバ(火葬場)オーナー」が説明してくれたところによると、お金持ちは、ガートの台座の上で火葬する、とか、電気でも火葬できるが、ほとんどの人は、薪で燃やすほうを好むetc、

24時間、死体が運ばれてくる限りやっているそうだ。

「3体のうち、1体は、今朝沐浴中に死んだ妹の火葬を兄がしているところだ。」

彼の指差すほうを見ると、青年が火葬終了のしるしとして、瓶にガンガーの水を汲み燃えかすに投げて割っているところでした。



初めて人が死んで燃やされる様子を見て、自分でも意外だったのは、気持ち悪いとか、ショックとかいう感情を持たなかったこと。

こういう言い方は不謹慎かもしれないけど、人がたくさん働いていて、家族のみならず、ヒマだから見てます的インド人、外国人の見学者、乞食の子供達、聖なる牛、飢えた野犬etc、てんで勝手に動き回って活気さえ感じられることに不思議と違和感も感じず、すなおに見ていられた。

厳粛という言葉からはほど遠い、日常のひとコマとしてひとりの人間の人生の終わりがある、という感じ。

いや、死って終わりじゃなくて、あくまでも途中なのかも・・・、と、宗教なんてよくわからないけど、そう感じました。







プロフィール

旅こぶた

Author:旅こぶた
もとバックパッカー主婦。好きなのはインド、トルコ、イスラエル、タイ、バリ島などなど・・・。今はもっぱら家族旅行ですが、赤ちゃんのころから旅に連れ歩いていた子供たちもやっぱり旅好き。夢は家族でインド長期旅行!
旅日記のほか、趣味で作ったハンドメイド作品の記録も。

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