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Nothing Compares 2 U




なつかしい曲です

シネイド・オコナーの名曲 BrilliantNohting compares 2 UBrilliant

1990年のプリンスのカバー曲です

当時、ドイツに住んでいた私は、言葉もロクにわからない番組よりMTVや英語のCNNをよく見ていました

なかでもこの曲は、彼女の美しい顔のアップがとても印象的で最後のほうです~っと流すひとすじの涙がキレイ

それから数年後、ダンナといっしょに行ったイスラエルでキブツに滞在していたときには、けっこうスキンヘッドの女の子がいて、影響をうけやすい私は、自分もスキンヘッドにしよう!と決意

ダンナは「いいじゃん、やれば~」なんて言ってましたが、(ふつう自分の奥さんがスキンヘッドにするのすすめないと思うんだけど・・・汗;

結局、勇気が出ずにあきらめました~

若かったあのころならできたのになぁ・・・残念

 

ウィキペディアより彼女の記事ちょっとコピーしました



ダブリン生まれ。 両親の不仲と離別、カトリックの厳格な生活に対する反発によってすさんだ少女時代を過ごしたことは、その後のオコナーの公私の活動に大きな影響を与えることになった。 母親の事故死の後、ロンドンに移って音楽活動を続けた。 1987年のファースト・アルバム「ザ・ライオン・アンド・ザ・コブラ」 (The Lion and the Cobra) は穏やかさと攻撃性とが去来する作風の曲が特徴である。 こうしたアンビバレント性はスキンヘッドという彼女のスタイルにも、カトリックに対しての愛憎の念が入り混じる言動にも表れている。 ちなみに、"the lion and the cobra" は旧約聖書の詩篇に現れる言葉で悪魔の隠喩である。

1990年のセカンド・アルバム「蒼い囁き」 (I Do Not Want What I Haven't Got, 1990年) からシングルカットされたプリンスのカバー曲「愛の哀しみ」 (Nothing Compares 2 U) が世界中で大ヒットし、アルバムは英米で1位を記録した。 デビュー当時から過激な言動を繰り返してきたが成功後もそれは変わらず、例えばアメリカのツアー会場で習慣となっていたコンサート前のアメリカ国歌を拒否して騒がれた。 とりわけ1992年10月「サタデー・ナイト・ライブ」の生放送中に「真の敵」だとしてローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の写真を破ったことにより大きな物議を醸し、直後のボブ・ディランのトリビュート・コンサートに参加した際には大ブーイングを浴びながら一人だけボブ・マーリーの曲を歌うことになった。

その後は過激さは影をひそめ、さらに1999年にはキリスト教系の新興宗教団体である独立カトリック教会の「女性司祭」となって人々を驚かせた。 発表作もレゲエやアイリッシュ・トラディショナル、スタンダードのカヴァーなど伝統的な色彩が濃くなっている。 2003年に一旦引退を発表し音楽活動を休止していたが2005年にレゲエのカヴァー・アルバム「スロウ・ダウン・ユア・アームズ」 (Throw Down Your Arms) で復帰した。

                 葉っぱライン



う~~ん、なかなかエキセントリックな女性なのかな

個人的には好きです、こういう人(笑)


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タグ:シネイド・オコナー

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旅こぶた

Author:旅こぶた
もとバックパッカー主婦。好きなのはインド、トルコ、イスラエル、タイ、バリ島などなど・・・。今はもっぱら家族旅行ですが、赤ちゃんのころから旅に連れ歩いていた子供たちもやっぱり旅好き。夢は家族でインド長期旅行!
旅日記のほか、趣味で作ったハンドメイド作品の記録も。

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